にっぽんじんろん
最近、愛国心がハヤリです。
これはもうハヤリとしか言えない。
国を愛する、という漠然とした概念を、具体的な行動として示しなさいという圧力が社会を覆っています。
本来、国を愛するというのは、自然を愛し人を育む心、なんです。
それが愛国心というものです。
いたって自然な心の持ちようなんです。
ところが。
なぜか愛国心というのは、「ある時代の空気」が作り上げた「ひとつにまとまった雰囲気」のなかで、その空気にはまることこそが愛国心である、という誤った方針に利用されてしまっています。
「愛国心」「愛国心」なんて言う人が、ほんとの意味で「愛国者」だったことはかつてもなかったし今も無い。
その時代の空気にただ漂っていれば、別に自分は傷つかないし攻撃もされない。
ただそれだけの人です。
それに日本の人って、一部ラテン系の人を除けば、人前でハグしたりキスしたり、ダーリンアイラブユーとか言って大きいジェスチャーで愛を表現したりしないやん。
それといっしょで、大袈裟に「ワタシはニッポンを愛しています!」とか言うのはヒジョーに不自然やねん。
味わい深い草木染めの、ビミョーな色合いを愛する日本人なら、そんな声高らかに「国の歌」を歌うってめちゃ不自然やと思う。
外国の人はちゃんと国歌を歌っている、という理屈は、だから違うと思う。
外国の人が、たとえばサッカーを応援してるときに国の歌を歌ったりするのは、毎日行ってらっしゃい、ただいま、愛してるよ、ちゅっ、っていう文化があるからだとワタシは思います。
日本人は、虫の声を愛で、桜に心を託し、暑い最中に秋を感じるという、そういう自然観のなかで生きてきたのです。
大袈裟な愛国心とは無縁の生き物なんです。