肉食再考 2

人は命を食べて生きている。
動物でも植物でも、それはおなじ命。
よくベジタリアンを攻撃するときに、野菜も生きてるんちゃうんか! とか、野菜栽培するときに虫とか殺してるやろ!と言われるけど・・・
そんなことは分かっていますという話。


人は生物だから、対象が何であれ、ある程度の殺生からは逃れることができないのは事実。


そんなことを言い出したら、日々細菌と闘っている白血球だって殺人鬼になってしまうのだ。


肉食を論議するときに持ち出される極論というのは、ようするに極論なので、この極論をクリアできない人には何を話しても歩み寄ることができないかもしれません。


ともかく。


ワタシには、今の世の中、あまりにもニンゲンだけが「過剰」に命を消費していると感じる、という拭えない気持ちがある。
人は明らかに自分が生きるため以上に「他の命」を消費していると思う。


それも一部「金持ち」の国の人間が。


「命を頂いています」感ゼロの世の中で、私自身がもうこれ以上、よけいな命を消費したくない、という気持ちになってしまったというのが、肉を食べなくなりつつある最近のワタシの正直な気持ちです。


そりゃ気分でしょう、気分の問題でしょう、という意見は甘んじて受けます。


でもたぶんこの「気分」は変わらないと思う。


別に肉を食べる人を否定しているわけじゃない。


否定されるべきは、何にせよ命について不感症になっている今の社会風潮そのものだから。


物言わぬ小さい生き物を見るにつけ、人は自分たちが何をして生きていくべきなのか、もっと考えるべきだと痛感するのです。
肉を食べるか食べないか、なんていう議論は、実はそのもっと先にあるのだと思います。