つきあいたい

ネット社会などという闇な社会があるらしい。


現実にもあるけどネットにもある闇社会。


どっちもイヤですが・・・


あるんだからしかたがない。


っと丹波哲郎ふうに。


「ネット社会」がアカンのは、今まで個人が澱のように溜めてきた不満や屈折を簡単に表現できるようにしてしまったことに尽きる。
その「簡単」がアカンと思う。


お手軽ガス抜き。


それも多数派的な意見を楯にして、少数派を叩くという・・


人間のクズ的ガス抜き。


個人の抱えている理不尽を、お手軽な弱い者イジメで解決しようとするさもしさ。


現実社会はネット社会を舐めているので、ネット社会のできごとなんか咎めたりしない。
利用するだけ。
だから増長する。


こんなあほらしい時代のなかで、
人を支えるはずの音楽や映画や文学は、いったいどこへ行ってしまったのか。
音楽や文学を発信する人たちは、いったい何を思って発信しているのか。
と、思ってしまう。


表現に直接的なメッセージは要らないけど・・・
でも何かしら「表現している」ならば、その理念が分からないようなものは、ほとんどゴミとおなじ。


せっかく音楽やってるのにゴミ作ってどうする。
と、思いながら我々はやっています。


音楽を届けたいと思ってやっています。


ゴミを捨てて「アレ」を持とう。


誰も差別しない。
おお、つきあいたい。